私は幸せになれるか

幸せの追求。家族の記録。

お母さんを頑張りたい

息子が入学して丸4年。
5年生になる前の3月に、初めて玄関で
「お母さん、ここでバイバイでいいよ。行ってきます」
って言われて、登校する息子を初めて玄関で見送ったんだ。

ずーっと学校無理やり行かせてて
行くも地獄、行かぬも地獄の4年間だった。
息子が葛藤して悩んでたのも分かってたけど、
私には何の知識もなくて、学校なんか行かなくてもどうにかなるだろうなんて、思えなかった。

でも、早退や欠席、家でも不安定になることが増えて私はパートを辞めた。

夫はその後「店に連れておいでよ。俺が仕事しながら息子みるよ」て言ってくれたけど、
仕事しながら面倒見るって、なんなのか。
父親が仕事やってる姿見せたら、学校行けるようになんのかよ!
夫も仕事やめてよ!
って全然納得できなかった。
それを夫に「意見強すぎる」「父親が俺である意味は!」とか言われたな。

夫の提案で、息子が自分で行くって言うまで学校休ませることも試したけど、
3日目で「行くわ」って言って、その後は今までの繰り返し。
ただただ息子に気を遣わせただけだった。
(もっと俺に任せてくれていれば)って心の中が透けて見えた。

「仕事だから」って一言言えば簡単に家を空けることもそうだけど
そもそも、自分の好きな仕事や趣味を続けることが出来てる夫に
今になって、もっと協力出来たのにみたいに言われて、すごく腹が立ったし、

好きなことがあったり、新しいこと始めたり、それがいつでも出来る環境である夫が羨ましかったし憎かった。

夫に、「やればいいじゃん。」「愛ちゃんも遊びに行きなよ」って簡単に言われるのも嫌だった。


私のせいで息子は学校行けないんだ。
私がいつも怒ってるから息子は不安なんだ。

私だって何が正しいのか分からないのに、私の決断が息子の人生を左右するんだって
書類出す時、担任から電話かかってきた時、全部プレッシャーだった。

そもそもこんな思いして学校へ行く意味ってあるのかなって、毎日思ってた。
行く理由と行かない理由をいつも考えてた。

どんなふうに育ってくれてもいいし、
いやなことからは逃げていい。
だけど、
本当はできることも、出来ないまま
本当はわかることも、知らないままで大人になってほしくなかった。

だから家に私と2人でいたらダメだと思った。
親とか親の友達の大人じゃなくて、子どもの友達が必要だと思った。
親が教えるんじゃなくて、子ども同士で学んでいくことが必要だと思った。
だから学校に行かせた。


先生たちの協力もあって、出られる授業が増えたらお友達ができた。
理科の実験が楽しかったとか、明日の学級レクが楽しみだって話すようになって
休みの日には友達を家に招待するようにもなった。


朝、行きたくないって泣くことはなくなったけど
私は毎朝一緒に玄関を出て、息子に「ここでバイバイ」って言われるまで一緒に歩いて、そこから学校に向かう息子が見えなくなるまでずっと見守ってた。

今日も学校で泣いてるかもしれないな。
帰りますって電話かかってくるかな。
学校で楽しいことがひとつでもあるといいな。

息子が入学してから毎日、ずーっと考えてた。


(いちいちついて行くから息子も不安になるんだぞ)
(息子は本当はやれるのに、過保護だろ)って、夫の心が透けて見えてたけど
息子が「行ける」と思えるまで見守ろうと思った。


だから玄関で私が靴履く前に「ここでバイバイでいいよ」って言われた時に、なんかこれまでの苦悩とか憎しみとか葛藤の中から一気に救われた感じがしたんだよね。
それに、単純にうれしかった。

 

 

お母さんは、お母さんをこれからも頑張りたい。

夫のパワーワードに振り回されない

私の夫はすぐに家を出て行く。年に2度は家出する。

結婚生活をやめたい
一人でいたい
家に帰りたくない
お前のことはもう好きじゃない
一緒にやっていけない
話したくない

 

そう言って、子ども二人を置いて家を出ては、
深夜や早朝に風呂に入りにだけ帰宅し、鉢合わせた子供や私に「なんとも俺は不幸」という顔をしてまた家を出て行く。

私は離婚する気はさらさらないので、そんな夫がいつもの時間に帰宅して、いつも通りの生活に戻るまで子どもたちと普通に過ごす。

もう振り回されないことに決めたのだ。

 

子供たちは7歳と5歳で乳幼児の時に比べ手が掛からなくなった。とはいえ、留守番はまだまだ当分出来ないだろうし、お母さん見て見て!の連呼や、兄妹喧嘩もあって目は離せない。
宿題をみたり、描いた絵を誉めたり、良いことや悪いことの分別を教えたり、お世話こそしないが教えることは増えた。

何もしなくても疲れる、特別なことをしている訳ではないけど、なんだか部屋がずっと散らかっている。

普段は夫が20時には帰ってきて、子どもたちを寝かしつけてくれたり、夫と話ができたりするので、まぁいっか!で済ませられるけど、

夫が仕事から帰宅後、友達に会いに行くとか、馴染みの店に顔を出しに行くなど言って夜に外出したり、夫の友達との会合に私や子どもたちも同席したりする日が数日続くと私の疲れはピークに達する。

夫を快く送り出せない。
とにかく快く送り出せない。

結果、夫は上記の発言をして家を出て行くのだ。

 

そして今回夫が家出をした日曜日は、こんなことを言われた。

大変だったって、お前は今日一日何してたんだ。
俺は仕事をしていた。
お前は何をしてたんだ。
昼は何を作って食べたんだ。
他に何をしてたんだ。
何が大変だったんだ。
説明しろ。

これを言われて、私がすらすら答えられたところで
大変だった認定はされない訳で。

以前のケンカの際に同じことを言われた時には
悔しくて悔しくて、私の家事という思いやりは夫には伝わらない。やっぱり私は孤独なんだとわんわん泣いた。
しばらく卑屈になって、私なんてどうせ!と自暴自棄になってゴハン作るのも掃除するのも、何のためなんだ?と自問してわんわん泣いた。
少しでも家計の足しにと週3で働きに出たパートも、何の生産性もない意味のないもののような気がしていた。

 

でも、今回は違う。
私はそんな夫のパワーワードには振り回されない。

夫に今日何してたと詰められたとき、7歳の息子が割って入って夫にこう言った

お母さんは!俺たちのごはんを作って!
掃除機をかけて!大変だった!!

そして、夫が出て行った後
私が、息子に喧嘩しちゃってごめんね、と言うと

おれは、何を言ってるのかよく分からなかったけど
お父さんが今日何してたか言ってみろ!って悪口でお母さんに言ってるのは分かった
と私に言った。

 

私は孤独ではない。

夫は時々気が触れて、モラハラ夫の典型ワードを吐いて私を最大限に傷つけようとするけれど
元々は子煩悩で思いやりのある人なのは知っているし、子どもたちもそんな夫が大好きである。

だから、夫のパワーワードには振り回されず
子どもたちとのんびり夫の帰りを待つのだ。